編集室ブログ
蘇る記憶、函館の玄関口

北海道は函館市、函館駅から市電でおよそ25分程度の場所に位置する函館山。
ロープウェイに乗って山頂まで揺られた先には、函館市を贅沢に見下ろすことが出来る展望台があります。
眼下に広がる広大な市街地の中でもひときわ目を引くのが、かつて北海道と本州を行き来していた青函連絡船の摩周丸です。1988年3月にその役目を終え、今では常設の記念館として利用されています。
この青函連絡船は、まだ青函トンネルが開通していない頃、鉄道と連携して貨物や人々を運び、戦後の復興から高度経済成長期を支え、ピーク時には年間400万人以上が利用していました。
しかし、1954年に台風による海難事故が発生し死者・行方不明者合わせて1,000人以上が犠牲となるなど「利便性と安全な人流・物流の両立」という問いを突きつけました。
その後、24年の歳月を経て1988年に青函トンネルが開通しました。それは、海上の限界を克服した人類の知恵の結晶と言ってもよいのではないでしょうか。
しかし、これだけ技術が発展した現代でも、新幹線と貨物列車の共存という「速さと効率」のジレンマに直面しています。函館に居を構えたこの船は、かつての激動の時代から現代に至るまで、物流にかかわる社会課題に向き合い続ける人たちをひっそりと見守っています。
もし函館を訪れる機会があれば、ぜひこの船にも足を運んでみてはいかがでしょうか。操舵室や通信室など、当時の様子を垣間見られる展示がされています。連絡船に乗ったことが無い方もきっと、懐かしさを覚える、そんな素敵な体験ができると思います。
(文:H.H、写真:E.M)