松前城の歴史からたどる、文化財保護の歩み

松前城の歴史からたどる、文化財保護の歩み

北海道の最南端、松前町にある松前城。正式名称は福山城といい、幕末の1854年に完成した、日本で最後に築かれた日本式城郭です。
松前城は桜の名所としても知られ、春には多くの人が訪れます。
私が訪れたのは、桜の季節ではなく8月中旬の盛夏でした。
青く澄んだ夏空を背景に立つ天守は見ごたえがあり、桜の季節とはまた違った魅力を感じました。
春だけでなく、夏に訪れるのもおすすめです。

そんな松前城ですが、現在目にする天守は、幕末から残るものではありません。
かつて松前城には三層の天守があり、1941年には本丸御門などとともに、当時の国宝保存法による国宝に指定されました。
しかし、その姿は現在まで残ることはありませんでした。
1949年6月5日、役場火災の飛び火によって、天守と東塀が焼失したのです。
現在の天守は、その後の復興運動を経て、1961年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。

     
当時、文化財の焼失は松前城だけの問題ではありませんでした。
同じ1949年1月には、奈良・法隆寺の金堂で火災が発生し、貴重な壁画が大きく損傷しました。
戦争によって多くの文化財が失われたばかりの日本で、さらに相次いだ文化財の火災。
文化財をどのように守り、後世へ伝えていくのかが、改めて大きな課題となっていました。

こうした状況を背景に、文化財を保存・活用し、未来へ継承していくための新たな制度として文化財保護法が制定され、1950年8月29日に施行されました。
松前城では、火災を免れた本丸御門が現在も残されています。
1941年に国宝に指定された本丸御門は、文化財保護法の施行に伴い、新たな制度のもとで重要文化財となりました。

文化財は、その土地の歴史や人々の暮らし、当時の技術を今に伝える大切な「記憶」でもあります。
しかし、火災や地震、風水害などによって失われる可能性をなくすことはできません。
だからこそ、文化財そのものを適切に保存・管理するとともに、その姿や構造、歴史を調査し、記録として残すことも、未来へつなぐ大切な取り組みです。

8月29日は文化財保護法が施行された日です。
松前城の歴史を通して、文化財を守り、次の世代へ伝えていくことの意味を、改めて考えてみてはいかがでしょうか。

   

(文:田口 勝教)

   

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