廃藩置県で始まった青森の地方創生

廃藩置県で始まった青森の地方創生

明治時代の初期、弘前城は荒れ果て、士族の生活は窮状を極めていた。
というのも、明治4年7月14日に廃藩置県の詔(みことのり)が発せられ、旧藩主は職を失ったのだ。

明治9年には、財政難の明治政府は、
士族への米の現物支給を止め、
代わりに将来に現金での支払いを約束する、"金禄公債"を渡した。
さらに、弘前から青森への県庁の移転により、地域経済も停滞していた。

このような中、元弘前藩士の菊池楯衛(たてえ)は、
津軽地方がリンゴ栽培の適地と知り、
リンゴの栽培技術を研究・普及する団体である「化育社」を設立した。

元家老の大道寺繁禎(しげよし)は、
民間人の共同出資により農具の会社を創業するとともに、
士族の金禄公債を資本に銀行を設立した。
 


このように、栽培技術、農具、融資といった様々な面で多くの主体が協力し、
リンゴ栽培を奨励したのである。
こうして150年後の今、青森県は世界有数のリンゴの産地になっている。

菊池は、弘前城内に桜の植樹もした。
その活動を元藩士が引き継いだ。

これが認められて、大正天皇のご成婚記念として、
明治34年頃からさらに多くの桜が植えられた。
こうして、荒廃していた弘前城は、今や日本有数の桜の名所になっている。

さて現在、国は「新しい地方経済・生活環境創生交付金」を通じて
地方における新たな取り組みを支援している。
その効果として、「地域の多様な主体が参画する仕組みの構築」や
「付加価値創出型の新しい地方経済」が期待されている。
新たな仕組みを考える主体は自治体であるものの、
それを実際の動きに繋げるには、民間の関わりも欠かせない。

制度の転換期にあった150年前、
地域から新しい取り組みが生まれていったように。
現在の取り組みもまた、
150年後の未来にも繋がる事業の生誕に繋がることを祈っている。

   

(文:大場 亨)

   

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