新幹線の生みの苦しみと安全
日本の新幹線は、開業して60年以上が経った今も、脱線や衝突による乗客の死傷事故は一度もない。
1964年10月1日、東海道新幹線の出発式に70名もの国鉄の幹部のほか、乗客や見送り客など大勢が集まった。
超特急行進曲が演奏され、鳩が舞い上がり、花火が打ち上げられた。
しかし、「新幹線の生みの親」と称される十河信二(そごうしんじ)元総裁や島秀雄(しまひでお)元技師長の姿は、そこにはなかった。
このとき、両人は国鉄を辞していたからである。
島氏が国鉄を辞したのは、これが二回目。
一回目の辞職は1951年、桜木町での事故の責任を感じてのことだった。
1955年、十河氏から「島さんのお父さんの夢だった新幹線を一緒に実現しよう」と声をかけられ、島氏は国鉄に復帰。
技師長としてその開発を指揮することとなった。
かつての苦い経験から、十河氏と島氏は安全対策を徹底した。
新幹線専用の線路を整備し、道路とは全て立体交差にして踏切をつくらなかった。
先行列車や停車駅を考慮した許容運転速度を運転室に表示し、列車の速度を自動的に落とす自動列車制御装置(ATC)や、列車の運行を指令室で一元管理する仕組み(CTC)も採用した。
当然、これらの装備を含む工事費が膨れ上がる。
予算超過を承知で、両人は安全装備を伴う工事を続行した。
この予算超過が国会で問題になり、十河氏が総裁に再任されずに辞職すると、島氏もその責任を背負って辞職したのである。
新幹線の安全対策は、今も改良が続く。
ATCやCTCは世代交代を重ねている。
さらに、営業車両の台車に取り付けたセンサーで軌道の状態を検査する。
また、雨水の範囲や流路を表示する地理情報システム(GIS) で可視化することで、雨季前の点検を効率化するとともに、点検結果を一元的に管理している。
開業日、実現した夢の超特急「ひかり1号」を、十河氏はテレビで、島氏は高輪の自宅の窓から見送った。
このとき両人には、新幹線の安全に一片の不安もなかったろう。
私たちが当たり前のように利用するインフラ。
その安全は、決して当たり前に実現されたものではない。
現在も安全に運行され続ける新幹線。
その歩みは、暮らしを支えるさまざまなインフラの安全について考えるヒントを与えてくれる。
(文:大場 亨)
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